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<島田紳助さん>トラブル解決がきっかけ 引退で若手に示し [<島田紳助さん>トラブル解決がきっかけ]





芸能界の頂点を極めた人気タレントが“黒い交際”で奈落の底へ--。軽妙なトークと毒舌で多くのレギュラー番組を持つ人気司会者であり、実業家の顔も持つ島田紳助さんの突然の引退会見は、大きな衝撃を持って受け止められた。【木村光則】

芸能活動引退の会見冒頭で頭を下げる島田紳助さん

 島田さんは23日午後10時、東京都新宿区にある吉本興業東京本部の会見場に、緊張した面持ちで登場。約200人の報道陣を前に、所属するよしもとクリエイティブ・エージェンシーの水谷暢宏社長や担当弁護士と一緒に頭を下げるとカメラのフラッシュが一斉に浴びせられた。

 会見が始まると「もう引退だからすべて正直に話します」と“紳助節”を発揮。暴力団関係者との交際について「トラブルを解決してもらい感謝の気持ちがあった。頻繁に会っているわけではなく、悪いことをしているという認識はなかった」と弁解したが、「僕の思うルールとは違った。正直、自分の認識が甘かった」と後悔もにじませた。

 自ら引退を決意した理由については、「ルールはルールですから。自分が軽い処分で終わったら若手に示しがつかない。悪いことをしたのは自分だから、自分で一番重い処分を下したろうと思った」と語った。

 ただ、今回の件で、芸能界と暴力団の関係が疑われるのではないか、との指摘には「私としては『この程度』なんです。この程度でも引退しなくてはいけないんです。だから若手は気をつけてください」と述べ、納得のいかない思いもにじませた。

 引退を決意してから引き留めてくれた友人らの話に及ぶと声を詰まらせ、涙をためた目で天井を見つめる場面もあった。芸人の松本人志さんにも引き留められたといい、「『やめないでください』と電話を受けたが、『格好悪い終わり方だけど、最後に少しだけ自分の美学を通させてほしい』と頼んだ」と涙を浮かべた。

 ◇多方面で才能発揮

 島田さんは京都府出身。松本竜介さんと漫才コンビ「島田紳助・松本竜介」を結成、リーゼントにつなぎ服姿でしゃべる「ツッパリ漫才」で脚光を浴びた。B&B、ツービートなどと共に80年代漫才ブームの一翼を担い、80年には上方お笑い大賞を受賞した。

 85年にコンビを解散後は、バラエティー番組や報道番組の司会などで活躍。小気味よい毒舌で、テレビ番組に欠かせない存在となった。01年には若手芸人の育成を目指し、漫才コンテスト「M-1グランプリ」を提唱し、審査委員長を務めた。

 04年には吉本興業の女性社員を殴ってけがをさせたとして略式起訴され、罰金30万円の略式命令を受けた。この事件で3カ月近くタレント活動を自粛した。

 その後、テレビの司会に復帰。「クイズ! ヘキサゴン2」から誕生した、つるの剛士さんらによるユニット「羞恥心」の名付け親になり、CDを大ヒットさせた。昨年末「M-1グランプリ」が終了したため、一世を風靡(ふうび)したテレビ番組「THE MANZAI」の復活にかかわり、審査委員長を務めることが決まっていた。

 現在は、「ヘキサゴン」のほか、「行列のできる法律相談所」「開運!なんでも鑑定団」など人気番組のレギュラー多数。また、映画監督を務めたり、鈴鹿8時間耐久ロードレースにチーム監督として参加、飲食店経営など、多彩な方面で才能を発揮してきた。

「この記事の著作権は、毎日新聞 に帰属します。」











http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110824-00000003-mai-soci











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